庄崎 真紀
都立立川学園
指導教諭
(平成12年度採用)
教員を意識したきっかけは、宮沢賢治でした。宮沢賢治の作品が好きで、いろいろと調べると作家だけでなく教員もしていたことを知り、興味を抱きました。また、通っていた学校がミッションスクールだったため、様々な事情のあるお子さんを預かる施設へボランティアに行く機会もあり、次第に様々な事情を抱える子供たちを支える仕事がしたいと思うようになっていきました。
本格的に教員になることを決意したのは、あるテレビ番組を見たときのことでした。その番組とは、沖縄のろう学校の野球部が甲子園を目指すドラマ。聴覚に障害のある生徒たちが先生や保護者と手を取り合いながら多くの困難を乗り越え、甲子園を目指す姿を見て「こんなにも大きな力を秘めているのに、障害があるだけで社会的に弱者として扱われてしまうのは何故だろう」と疑問が芽生えたのです。そうした社会からの目線をものともせず、自分らしく自由に活躍してほしい。自分もそのお手伝いがしたい。それが、私がろう学校の教員を目指した理由です。
子供たちができないことにぶつかったとき、それをどう捉えるかを大事にしています。できないことはマイナスではなく、課題が見つけられたとプラスに捉える。そして、その課題をクリアするためにはどうしたらいいのか、それをどうすればサポートできるかを考えるようにしています。大切なのは、子供たちに、自分で「できた」と感じさせること。あくまで、困難を乗り越えるのは子供たち自身。クリアするための道筋や方針を考えたり、ハードルを低めにして達成感を感じてもらったり。ときには少し厳しめの課題に挑戦させてみたり、気長に待ったりと試行錯誤しながら、子供たちが自発的に成長できる環境づくりを心掛けています。
また、立場上、子供たちだけでなく後輩教員の指導にあたる場面も多くあります。その際にも答えを教えるのではなく、本人が自分で考え、決められるようなサポートを意識しています。その方が本人の成長につながるということもありますが、何より子供たちに直接向き合っているのは、その先生。一番子供たちを理解している本人が感じて、考えた通りにやってみた方が子供たちのためになると思っています。
分からないことが分かるようになったり、できなかったことができるようになったり。そんな成長を毎日のように感じられるのが、この仕事の醍醐味です。今日も、外部の方が取材にいらっしゃる際に、新しい環境に緊張する子供の反応が気になっていましたが「挨拶してみる?」と聞くと「する!」と元気よく答えてくれました。嬉しい瞬間です。
そうした日々のやりがいとは別に、長く教員を続けているからこそ感じられる喜びもあります。若い頃に教えた子が大人になり出産して、その子の担任をさせてもらったときは感慨深かったですね。また、昔教えていた子供がダンスを一生懸命習っていたのですが、成長して今は子供たちにダンスを教える立場になり「この立場になって、教える側の難しさがわかりました」と手紙をもらったときも、その子の成長を感じてとても嬉しくなりました。他にも同窓会に呼んでもらったりするなど、多くの子供たちの人生に、長く深く関われるのは教員ならではの魅力ではないでしょうか。
意外と知られていませんが、教員の夏季休暇は比較的長めです。その夏季休暇を活用したり、ボランティア職免制度を活用したりして、東南アジアのろう学校で教員に聴力測定や補聴器のフィッティング、言語指導についてのセミナー講師を10年ほど行っていました。これらは自分の指導技術の向上や視野を広げることにもつながっています。
将来はフランスで暮らしてみたいという夢を持っているので、フランス語を勉強しています。また、教員は1時間単位で休暇が取れるので、平日早めに仕事を切り上げて美術館を巡ることもあります。美術館でじっくり見ようと思うと、定時で退勤しても間に合いません。1時間単位で休暇取得できるのはとてもありがたいですね。